菱屋西・東・(中)
2021年10月30日
今回は、菱屋(ひしや)の地名について調べてみました。
菱屋の地名は大和川付け替え工事後の、新田開発者の菱屋庄左衛門の屋号をとったものと
言われております。
17世紀の初め織田信長、豊臣秀吉に敗れた紀州の根来衆の一人、規矩九右衛門が新家に
移り住み、四代目庄左衛門は呉服商として幕府をはじめ、大和郡山の柳沢家に出入りし許されて
柳沢家の定紋「菱」を屋号としました。
宝永元年(1704)の大和川が付け替えられると、長瀬、楠根、玉串、三川の川床に
合計68町歩の新田を開発しました。それぞれに屋号「菱屋」をつけ、菱屋西新田、菱屋中新田
(藤戸新田)菱屋東新田としました。
しかし、亨保17年(1732年)菱屋三新田は全て三井家(越後屋)の所有となり
明治になって菱屋中新田の大部分は藤戸家の所有となり、大正6年藤戸新田と改められました。
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