金岡
2024年04月30日
宝永元年(1704)の大和川付け替えとともに行われた新田開発によって生まれた土地であり、金岡新田は、大阪の末長甚兵衛、江戸の田中源七が開発権を得て開発しました。
「金岡」という名称の由来は不明ですが、「金岡新田」から単に「金岡」と呼ぶようになったのは、明治43年からです。
金岡は今の金岡公園から久宝寺駅までであり、南北1.6キロメートルの細長い地域を言います。
明治9年の記録によると人口は24名、同じく22年は、25名で、ほんの4.5軒の小さな村だったそうです。
旧大和川の川幅はおおよそ200mあり、この辺りは特に広く、川幅は380メートルもあった巨大な川でした。
堤は旧大和川が天井川ということもあって小高く、松並木が長々と続いていたそうです。
「金岡」という名の由来は不明だが、土地が肥え農耕に適していたことから付いたのではと推測されます。
エトワールヴィルでは、金岡公園まで徒歩3分の場所に新規分譲をスタートしております。
陽当り・風通しの良い東南(三方)角地、近鉄大阪線「弥刀」駅徒歩5分の好ロケーションとなりますので、ぜひ一度、現地見学をお待ちしております。